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エンリケ1世 (ナバラ王) : ミニ英和和英辞書
エンリケ1世 (ナバラ王)[えんりけ1せい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [よ, せい]
 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation 
: [おう]
  1. (n,n-suf) (1) king 2. ruler 3. sovereign 4. monarch 5. (2) king (for senior player) (shogi) 

エンリケ1世 (ナバラ王) : ウィキペディア日本語版
エンリケ1世 (ナバラ王)[えんりけ1せい]
エンリケ1世スペイン語Enrique I, 1244年頃 - 1274年7月)は、ナバラおよびシャンパーニュ伯(在位:1270年 - 1274年)。シャンパーニュ伯としてはアンリ3世フランス語Henri III)。「肥満王」(スペイン語:''el Gordo''、フランス語:''le Gros'')と呼ばれる。ナバラ王テオバルド1世(シャンパーニュ伯ティボー4世)と妃マルグリット・ド・ブルボンの次男。
1270年12月、エンリケ1世は子に恵まれなかった長兄テオバルド2世の死去により、王位と伯位を相続した。しかし翌年3月になるまで即位の布告はなされず、戴冠式も1273年5月まで行なわれなかった。1274年7月、エンリケ1世は死去した。エンリケ1世の治世は短かったが、高潔で有能な君主であったといわれている。死因は太りすぎたことによる窒息死であったという。
エンリケ1世には1269年に結婚した王妃ブランカ(ブランシュ・ダルトワルイ9世の弟アルトワ伯ロベール1世の娘)との間に一女フアナ(フランス語名ジャンヌ)がいるだけで、シャンパーニュ=ナバラ系ブロワ家の男系男子は絶えた。王位を嗣いだフアナ1世は1284年フランス王太子フィリップ(翌年にフィリップ4世として即位)と結婚し、以後半世紀ほどナバラとフランスは同君連合となった。
ダンテの『神曲』では、さまざまな13世紀ヨーロッパの君主たちとともにエンリケ1世は煉獄の門の外で登場する。




抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「エンリケ1世 (ナバラ王)」の詳細全文を読む




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